Soie Coquine
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ソワコキーヌ Management

“Management"(フランス:プリマプレスグループ)
2000年10月号掲載記事、フランス語からの翻訳。

幸せの種はいくらでもあるのに、どうして起業家達は、フランスを去って行くのだろうか?彼らは違う国々で仕事を始め、そして成功していく。

カール・ストレプコフ、33歳。1993年より日本在住。ソワコキーヌ社を設立し、4年のうちに売上を3倍に伸ばした過程や、フランスの行政システム(失業保険、退職年金プランなど)のために彼の給料が月3,000フラン(約5万円)を超えることがなかったことなど、彼がフランスを去る前の話からたどってみよう。

フランスよりも、私は日本ではるかに大きな自由を感じている。

1989年、私のもとへ、ISGビジネススクール卒業時にインターシップで働いていたフィリップスから就職のオファーが来ましたが、私は断りました。理由は、自分は大企業の中で身を削って働くタイプではないということが分かっていた上、そこでの自分の将来について、あらかじめ決められたレールの上を進み、設定された限界の中で働かなければならないということを知っていたからです。そして、私は、そこのビジネススクールの友人と一緒に、タイからシルク製品を輸入する会社をパリに設立しました。その会社の名前は現在と同じく“ソワコキーヌ"といいます。
そして、私たちは4年で会社の売上を330,000フランから1,000,000フラン(約600万円から約1,800万円)へと約3倍に伸ばすことができました。しかし、その実状はとても厳しいものでした。フランス政府の決めた失業保険や退職年金プランなどのために、結果として当時の私の月給は3,000フラン(約5万円)を超えることがなかったのです。

1993年には、私もこのような状況にウンザリしてしまい、ついに諦めてしまいました。その後、東京に住む女友達を訪ねた私は、そこで再度ソワコキーヌ社を立ち上げて、活動を始めることになります。しかし、最初はサラリーマンとして輸出入の仕事を行なっていました。そして、2年後にその女友達と共に東京に自分の会社を設立することができました。現在では、3人の従業員と共に年間約900万フラン(約1億5,000万円)の売り上げを計上しています。私たちの顧客ですか?そうですね、コカ・コーラやエイボン、ペルノリカールなどです。私は、ここ日本ではフランスでは不可能なことが可能になると感じています。私の見る限り、今現在の日本の制度は私を後押ししてくれていると思います。日本の人々は、外国人に対してなかなか心を開いてくれない部分もありますが、それでも私は、日本にいると自分自身がとても自由でいられると感じています。

ジャーナリスト
Mane-Piere Nogues

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